DATE : 2007/04/22 (Sun)
「朽ちていった命 ――被曝治療83日間の記録――」(NHK「東海村臨界事故」取材班、新潮社、2006)を読みました。岩波書店から2002年に刊行された単行本の文庫版です。
被曝といえば、恥ずかしながら子供のころに読んだ「はだしのゲン」に描かれたものぐらいしか知識がありませんでした。読んだのがかなり昔のこともあって、体の溶けた人々が街を歩くといった、被爆と被曝がごた混ぜになったようなイメージしか読む前にはありませんでした。
ところが、被曝直後の体は、体にほとんど異常が見られないほど元気なのです。
本書は、1999年9月に発生した東海村 JCO 臨界事故で最も大量の放射線を浴びた大内久氏の83日間の闘病(治療)記録です。大内氏の浴びた放射線は、致死量(7~10シーベルト)をはるかに超える20シーベルトでした。しかし、被曝直後の大内氏はリンパ球の数は減少していたものの、外見はほぼ健康体でした。
ところが、染色体は完全に破壊されていたのです。これは、新たな細胞が生まれてこないことを意味していました。放射線を浴びた直後から、体中の細胞の死が運命付けられていました。
放射線の恐ろしさをまざまざと見せ付けられました。安全だ、安全だと繰り返される原子力発電ですが、放射線が大量に放出されるような事故が発生すれば、いつ同じような状況になるのか分かりません。
しかし、原子力発電はなくせません。発電効率の良い点はもちろん、一度作ったものを解体するにもコストの関係から現実的ではありません(特に、原子炉は放射性廃棄物のなるため、処分には長期間の管理が必要となります)。すると、願うことはとにかく事故がおきないように管理を徹底していただくほかにありません。東海村 JCO 事故では、表向きのマニュアル → (臨界が起きないように考慮された)裏マニュアル → (効率のみを追求した)裏マニュアルが実行され、結果として悲惨な事故となりました。大内氏には、臨界に達する可能性を知らされていなかったそうです。
同時に、知識のないままに物事を行う恐ろしさも知ったような気がします。